2003年06月11日

Dolls(日本/2002/監督:北野武)

 社長令嬢と結婚するために婚約者の佐和子(菅野美穂)を捨てた松本(西島秀俊)は、式当日に佐和子が自殺を図ったと聞かされる。式を投げ出し病院に駆けつけた松本を待っていたのは、精神の糸が切れ、壊れてしまった佐和子の姿。眼を離すとどこかへ行ってしまう佐和子を松本は赤い腰紐でつなぎ、「繋がり乞食」となった2人は日本の四季のなかをあてもなくさまよい歩く。2人がすれ違う人々のなかには、昔捨てたはずの女(松原智恵子)がずっと自分を待っていたことに戸惑うヤクザの親分(三橋達也)と、事故で顔に大ケガを負い芸能界を引退したアイドル(深田恭子)の心中を思い自ら眼を突いて盲目となってしまったオッカケ青年という2組のカップルの姿があった。
 北野映画の中では賛否両論あった作品のようだが、私は美しい日本の四季の映像と残酷で切ない3組の愛のカタチに圧倒された。愛の狂気ゆえにDollと化した女たちの表情は一様に空ろで、見詰める先に映るものは、愛した男か、それとも自らの内面を満たす愛という名のエゴか。
 どれも圧倒されるほど切ない恋物語ではあるのだけれど、北野武の過分な理想の具現化だよね、これは。実際はもっとしたたかで計算高くて強い女がほとんどだから。でも、ラスト近くに佐和子が一瞬正気を取り戻したかのように見えるシーンがあるのだけれど、もしかたら佐和子はもっと前に、いや最初から正気だったのかもしれないわけで、そう考えるとしたたかな女の業を描き切ってるナァとも思える。まぁ、ヤクザの親分を何十年も待ち続ける女のエピソードを見ると、やっぱり佐和子も狂気と紙一重の純粋な愛を内包した女として描かれたのかな、とも思うけど。
 ところで、佐和子と松本の「繋がり乞食」だが、北野武のエッセイで、浅草修行時代に出会った浮浪者のなかに男女の「繋がり乞食」というのがいた、というのを読んだことがあるのだが、それが元ネタ?

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posted by bambi at 01:12 | LOG #た-と
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