2006年03月01日

スティーヴィー(2002/アメリカ/監督:スティーヴ・ジェームズ)


stevie.jpg大学生時代に11歳の少年スティーヴィー・フィールディングの更生を助ける“ビッグ・ブラザー(兄役の制度)”になったジェームズ監督は、10年ぶりに故郷へ戻り、スティーヴィーの現在の姿をカメラに収めようと考えた。ところが、スティーヴィーが重大な犯罪の容疑者に問われたことで、ジェームズ監督は図らずも犯罪の加害者と向き合うことになってしまう。本作はそうした状況で様々な苦悩を抱えながらもカメラを手放さず映画を撮り続ける選択をしたジェームズ監督による4年半におよぶ魂の記録。

児童虐待・ネグレストの被害者であり、いとこの少女への性的虐待の加害者でもあるスティーヴィー。彼の母親とその妹(被害者の母親)もまた、貧しい地区の生まれでアル中の父親から虐待を受けて育ったと語る。スティーヴィーの母は、自分が育てられたように子どもを育て、ついには捨てた。
やりきれない虐待の連鎖の中で、必死で絆を繋ごうとする家族のありようが、観ていてとてもつらかった。
スティーヴィーは母親を憎んでいる。彼の妹(兄のように虐待はされていない)夫婦は、誠意を裏切り続ける兄をもてあましている。母親も悩んではいるけれど、彼女の罪は、犯罪をくりかえす息子を見れば一目瞭然。けっして心安らかなときはないだろう。

個人的なことだが、私自身、恵まれた家庭環境ではなかったし、10年近く帰省もしていない。家族という閉塞した集団への拒否反応はいまだに根深くて、なぜお互い憎みあい疎みあっていても家族というだけで寄り添って生きているのか、理解も共感もしづらかった。
どうしても、“共依存”という言葉が胸をよぎってしまうが、家族のありようは千差万別。スティーヴィーたち家族の関係は、息苦しく澱んでいるように見えるけれど、傷つけあいながらも寄り添っていることは、欠けたものを埋め、細い絆を縒り合わせながら生きていくことなのかもしれない。
家族としてどのように乗り越え、支えあっていくのがベストなのか、100の家族があれば100の答えが出るだろう。
子どもの産まれた妹夫婦や、婚約者の待つスティーヴィー自身の身をもって、負の連鎖が断ち切られることを祈らずにはいられない。

ジェームズ監督とスティーヴィーの関係も、擬似家族と呼ぶには程遠い、とても危うい距離感が伝わってきて、時折ひやりとさせられる。
自分の行為に、ときには意義を感じたり疑問を抱いたりする監督の葛藤がストレートに映し出され、一進一退をくりかえしてなかなか変わらないスティーヴィーに、監督同様、苛立ちを覚える。
一人の人生を見守ることは、とてつもなく重いことだ。
監督の真摯な思いを綴ったこのドキュメンタリーを観るには、それなりの覚悟が必要なのである。

評価:★★★★☆

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posted by bambi at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | LOG #さ-そ
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